美しい人 [2]










「なあ、なんだって手紙なんだ? 何かあったのか、祥瓊と……」
「何もありません、お暇だと小耳に挟みましてね。それでお誘い申し上げたんですが、やらないんですか?」
「やる。じゃなきゃここまでこないよ。暇をしてたのは事実だけど、どこから耳に入れたのやら」
「おわかりでしょう、そんなこと。たとえ耳を塞いでも話す人が、私の傍には大勢いるんです」
大げさに憔悴したふりを装う姿に、陽子は声を立てて笑った。
「お気の毒に、というべきかな、桓堆。それにしてもどういう吹き回し、弓を習ってみないか、なんて」
軽口を叩きながら、陽子はその気遣いを嬉しく感じていた。
以前はそうして気を遣われることが迷惑をかけるようで心苦しかったが、人に頼ることを憶え始めた今では、そうして気にかけてもらえることが、どこか嬉しかった。
彼が言うように、事の発案者は、陽子にも桓堆にも近い、誰か達、なのだろう。
「剣をふるわれるのも結構ですが、そればかり、というのもつまらないかと思いましてね。それに以前仰ってたでしょう、興味があると」
「私の友人でね、弓が下手だという人がいて、そんなに難しいものなんだろうかって思ってたから興味があって。まあその人は半獣でね、ふだん人の姿をしていないせいのようだけど。性格からして、荒事はまるで似合わないし」
「まあ自分もあちらの姿では、弓を引くのはそうとう難しいと思いますが……」
言われてその姿を想像し、陽子は堪え切れず吹き出した。
「お裁縫とどっちが難しいかな? まてよ、針が持てるのかな?」
「主上……」
悪びれもせず、至極真面目な顔をして問えば、桓堆は苦虫を噛み潰したような何ともいえない表情で陽子を睨み返した。
軽く肩をすくめると、聞き慣れた声に呼ばれ、陽子は声の主を探す。
「やっぱり来たな。お前は本当に一所に落ち着けない性分なんだなあ」
豪放磊落な性格そのままの姿をした男は、快活に笑いながら陽子の頭を乱暴に撫でた。小さい子供にするような大げさなやり方に、陽子は小さく悲鳴をあげる。
振り向けば、そこには大僕の姿があった。
「痛いよ虎嘯、何するんだ。それを言うならそっちだってそうじゃないか。聞き捨てならないぞ」
「そうか? お前、自分のこと、よく知らないんだな……」
本気で呆れている虎嘯の様子に、陽子は愕然とする。竹を割ったように真直ぐな性分であるため、彼は嘘がつけない。たとえついてもすぐに嘘だとわかる。
つまり虎嘯は今、本気で陽子を哀れんでいるのだ。
そうとわかると、根拠のない自信はあっけなく揺らいだ。
「はいはい、そこで主上も本気で落ち込まないで下さい。冗談に決まっているでしょう、どうしていつもそう真に受けるんですかねえ。はい、ちゃんと持ってくださいね」
すでにいつもの調子を取り戻した桓堆が、虎嘯からもぎ取った弓を茫然としていた陽子へ手渡した。
半分よくわからないまま受け取って、陽子は物珍しさに弦弓を指で弾いてみた。
憶えのない感覚が、とても新鮮だった。
楽器の弦とは違い、遠くへと矢を放つための弦弓は、堅く張り詰めていた。
楽器の持つ甘さのある張りより、陽子にはこちらの方が好ましく感じられた。
きっとそれを言ったら、あの美しい友人は嫌な顔をするだろう。それを想像して、ひとりおかしくなる。
「そういえば二人とも弓って感じじゃないけど、大丈夫なのか?」
「……お前は本当に素直だな。安心しろ、夕暉のことがあるからな。問題ないぞ」
得意そうに弟の名を口にするのに、陽子は成程と思う。
しばらく顔を見ていないが、あの利発そうな少年は、楽俊と同じ道を選んだのだ。
そう思い、もう彼も少年ではないのだと遅まきに気付く。
こんな些細な会話にも、歳月というものが存在する。
それを感慨深く噛み締めながら、二人が案内するままに後をついて歩いた。
武器は正しく使えぬ内は、本人にとっても周りの者にとっても危険でしかない。
しかるべき場所で扱うことが肝要だった。
「いいか、大事なのは姿勢だ。足は肩幅に開いて、力むな。矢はゆっくりと頭上につがえて……よく狙ってから、放せ」
教えられた通り、弦弓を引き絞り、手を離すと、空を裂く音とともに弓矢は的へと放たれる。
「当たった!」
「主上は筋がいいですね、お見事です」
「うん、上手いぞ。夕暉は最初、的を外したからな。陽子の方が上手だ」
「ふうん……意外だなあ。よし、じゃあ、真ん中に当たるまで頑張ってみるよ。そしたら鈴と祥瓊に、私が教えてあげよう! 二人とも、素質あると思わないか?」
得意げに振り返ると、桓堆が音がしそうな勢いで、首を横に振っていた。
















二通目の書簡を桓堆から受け取って、陽子は祥瓊の元へと向かっていた。
的のほぼ中心を狙えるようになった頃、忘れる所でした、と彼が取り出したそれは、一見しただけで祥瓊からだとわかるものだった。
華美を好まない自分に合わせて、その紙は色を含まず、ただふわりと涼しげな花の香りがした。
その控えめな花の香りが、とても彼女らしかった。
例によって、文章は簡素だった。
『暇があったら、いらっしゃい』と。
その【命令】に従って、陽子は友人を訪ねた。










Novels  [1]  [3]










07.02.10