ミス フォーチュンテラー










見るともなく外へ向けていた目を、景麒は堂扉へと向けた。
ほどなくして堂扉の向こうに訪い人があらわれたので、声をかけられるよりも早く景麒は自ら堂扉を開け、彼女を出迎えた。
















「よくわかったね」
陽子はわざとらしく目を見開いて言った。
「足音がしましたから」
景麒は溜息をつきながら、皮肉を口にする。
「おかしいな、ちょっと走っただけなのに」
悪びれることもなくからりと笑う陽子に、景麒は目をすがめた。
つまらない問答をさせられて、景麒は不機嫌さを隠そうともしない。
相変わらず付き合いが悪いと陽子は笑いながら、彼の私室に招き入れられるままついて入った。
堂扉を閉めるのに傍によると、陽子から砂糖の甘い香りがした。
「鈴たちとお菓子を作ったんで、お裾分けに来たんだ」
手にしていた籠からかぶせていた布を取り去ると、いっそう甘い匂いが辺りに漂った。
そこには飾り気ない、扇状の焼き菓子が詰められていた。
円形であった生地を四つ折にしたので、そんな変わった形状をしているらしかった。
見慣れない菓子の形に見入っていると、陽子は軽く籠をゆすって景麒へと差し出した。
「向こうのお菓子を思い出して作ってみたんだ。二人には好評だったよ」
大丈夫、お前にも食べられるように作ったから、と言う陽子の声をどこか遠くに聞きながら、景麒は差し出されたそれを一つ手に取って見た。
軽い焼き菓子は、まだ仄かな熱を持っていた。




こうして時折、何の前触れもなしに景麒は『異国』に触れる。
彼女の言う『異国』という概念は、こちらの人間が抱くには難しいもののように景麒には思われた。
どこの国へ訪れても気候や風土、それに伴なっての多少の生活習慣の差異があるくらいで、そこに生きる人々の根柢が自分たちとあきらかに違うということはない。
陽子が思い出のうちに持つものの断片は、景麒には理解しがたいようなものが多かった。
そういうものばかりこちらの反応を見るのに選んでいる節も見受けられたが、それでも身の裡に馴染みきらない違和感を、そう言う以外に思いつかなかった。
同じような不思議さをきっと、彼女も幾度となく味わっているに違いないが、そういった領域に踏み込むことは、お互いあまりなかった。




「持ってないで、食べたら?」
声をかけられて、景麒はふと現実に引き戻される。
「私も食べようかな」
そう言って指をさ迷わせ、陽子は神妙な顔つきで一つを選んでいた。
「どれも同じでしょう」
「別にいいだろう、気持ちの問題だ」
ようやく一つを選び出し、自らの口元に運びながら陽子は景麒にも食べるよう進めた。
あまりにもじっとこちらを見ているので、景麒は不審に感じて何かと訊ねた。
陽子は笑みをこぼし、ゆるゆると首を振ると焼き菓子を口にした。
怪訝に思いながらも、景麒も手にした焼き菓子に口をつける。
一口齧ったところで妙な違和感を憶え、焼き菓子に目を落とすと、中から紙片のようなものが覗いていた。
「……これはなんですか?」
「御神籤のようなもの。フォーチュンクッキーだからね、これ」
まったく説明になっていないと思ったが、仕方なく陽子がしたのと同じように菓子の中から小さく折り畳まれた紙片を取り出した。
「これはね、紙に書いてあることがそれを選んだ運だということでね、書いてあることが叶うんだよ」
変わった趣向だと思いつつ、取り出した紙片を広げてみる。
そこには達筆な筆跡で、ただ一言が簡潔に告げられていた。
紙片から目を上げると、陽子は興味津々とした顔でこちらを見ている。
「どう? 私は『旅行 すべてよし』だったよ」
子供のように無邪気に言う陽子に、即座に下へ降りる腹積もりを勘繰るが言わずにとどめた。
何か口を滑らせれば言質を取るつもりでいることを、景麒は冷静に察していた。
返答がないことを訝しみ、陽子はこちらへと手をのばしてくる。
反射的に籤を高く上げてしまうと、陽子から非難の声があがった。
「ずるい、見せてくれたっていいじゃないか! なんて書いてあったんだ?」
陽子は爪先立ちになって手をのばしたが、遠く届かない。
別段意地を張ったわけでもなかったが、思いもかけない行動に手を下ろす機会を逸した。
ただむきになっている陽子が珍しく、景麒は手を高く掲げたままで反対の手をそっと押し出すようにして陽子を宥めた。
「これはこのあと、木の枝に結べばよろしいのでしょう? なぜそう固執なさいます。ご自分でお作りになったのでしょう?」
静かな声音で訊ねられ、陽子はぴたりと動きを止めた。
「え……なんでお前がそんなことを知っているんだ?」
「以前、ご自分で仰っておいででした。そうする理由はご存じないとも仰っておられましたが」
「……憶えてない……いや、枝に結ばないで持ってても支障はないよ。問題ない……何だろう、不思議な感じだ。でも、何だか嬉しいな」
はにかむような笑顔がこぼれて、思わず目が離せなくなる。 
失くしたものを思い起こすことが辛いばかりではないのだと、景麒は考えたことがなかった。
それはひとえに、口にはできない、愚かな恐れゆえに。
何気ないその一言に、彼女の世界に知らず自分も存在していたのだと知って、ふいに温かな気持ちになる。
「それで、なんて書いたあったんだ?」
小首を傾げ、陽子は再び聞いた。
景麒は籤にちらりと目をやって、陽子へと視線を戻す。






籤が告げたものは、何であるのかと。






景麒は一瞬口を開きかけて、ふっと息をこぼした。
「もう、叶いましたので」
「叶ったって……あ、そうなんだ……」
そっけない返答に調子を崩され、陽子は口を噤むとそれきり黙り込んだ。
「これから、それを配って歩かれるのですか?」
「ご名答。よかったらもう一つどうだ?」
「いえ、もう充分です。ありがとうございました」
そうかと呟いて、陽子は籠に再び布をかぶせた。




陽子は家庭の一切を、そつなくこなすことができる。
それを鈴は必然として、祥瓊は嗜みののちに必然として憶えた。
陽子も似たようなものだと、格別の意識もなく以前に語った。
そのように育てられただけだと、いつか聞いたことがある。
今はそれが趣味として位置づけられていると、苦笑していた。
いつかまたそんな話を聞いたら、今度はきっと、疑問に感じたことを素直に聞けるような気がした。
じゃあと断って堂室を後にする陽子を、堂扉まで見送る。
堂扉を閉める一瞬、振り向いた陽子と目が合う。
思わず口を開くが、声を出すより早く、惰性で堂扉が閉まる方が早かった。
厚い堂扉の向こうに軽やかな足音が聞こえなくなっても、離れがたく、景麒はしばらくそこにいた。
















「ねえ、何を書いたの?」
菓子を配り終え、休憩にと席に着いた途端、陽子は二人に訊ねた。
「陽子、主語がないとわからないんだけど」
「何の話?」
お茶を淹れている二人になかば呆れた顔をされ、陽子は空咳をすると居住まいを正した。
「ほら、さっきのお御籤の中身。鈴が考えて、祥瓊が書いたでしょう?」
ああ、と祥瓊が手を打つ。
「別に変わったことなんか書いてないわよ。普通のお御籤みたいなことだけで。ただ祥瓊が大吉とかじゃわかりにくいっていうから、普通なら全部書いてあることをばらばらにして、一つだけ書いたのよね」
「そうそう、健康 問題なし、とか、金運 よし、とか、恋愛 うまくいく、とか」
「他には?」
「そうねえ、東南に吉報あり、とか、失せ物 すぐみつかる、とか、旅行 すべてよし、とか」
祥瓊と鈴はつらつらと、書いたものを片端から並べ立てた。
だが、陽子の疑問はまだ晴れない。
「それで全部?」
「これくらいだったと思うけれど……」
「そうだ陽子、台輔は何をお引きになったの?」
鈴に問い返され陽子は一瞬言葉を失ったものの、そっと視線をずらして茶器に手をのばす。
「それがさ、見せてくれなかったんだよね……」
ふうんと呟いて、祥瓊は大人びた微笑を浮かべた。
「何なんだその笑顔は。いいから教えてくれ」
気味が悪いとでも言うような仕草で、陽子は肩をすくめる。
祥瓊は気にせず、からかうようなその笑みを消す素振りはなかった。
「私が生地を作ってる間に二人が中身を準備したんだから、知らなくたって当たり前だろう。聞いて何が悪いんだ」
「まあまあ悪いなんて、ひとっことも言ってないじゃないの。私も興味があるもの、台輔が何を引いたのか」
「景麒のことなんて関係ない。私はただ純粋に興味があって……」
言いながらどうにも言い訳がましいと思ったが、むきになっているので深く考えずにおくことができた。
「そうねえ、あとは、学問 順調にいく、とか、争い事 勝てる、とか、待ち人 早々と来る……とかだったかしら」
ぽつりと、鈴が呟いた。
「言われて見れば、そんなの書いた気がするわね。陽子、どう? 思い当たるのあった?」
満面の笑みで問いかけられ、陽子は驚いて首を横に振った。
「ま、ますますわからなくなった気がするよ。なんだったんだろうな、一体」
「籤を見た時、何か仰らなかった? 驚いていたとか、たとえば……」
「何もないよ、無反応だった。さて、と……お茶をごちそうさま、私はこれで……」
かたん、と椅子を鳴らして陽子は俊敏に立ち上がる。
「もう? そういえば、陽子が引いたのってなんだったの?」
「……旅行」
祥瓊の問いにぽつりと応えて、陽子は背を向けた。
「じゃあ、これから下へ行くの?」
からかいを含み、無邪気に鈴が聞いた。
「行かない。だいたい旅じゃないしね。少し疲れたから、今日は堂室で大人しくしてようと思う」
振り返らないまま手を振って、陽子はそこを後にする。
















自室へと戻り、閉めた堂扉に背を預けると、陽子はその場にずるずると崩れ落ちた。
「何なんだ……」
折った脚を抱え込み、膝に額を押し当ててその場にうずくまる。
鼓動が、普段の倍以上の早さで躰の中にこだましていた。
通常人の心臓は、一分間に七十前後の鼓動を刻む。
今はそれをはるかに越えて、まるで小鳥の心臓が胸にあるようだった。
小鳥は人が七十の鼓動を刻む間に、百六十以上のそれを刻む。




なぜ何を引いたのか言わずに、景麒はあんなことを言ったのだろう。
そう言った時、彼はどんな目で自分を見ていただろうか。
思い返そうとするが、面映くてとてもできなかった。
顔をあげ、無意識に両手で口を蔽う。






からかわれたの、だろうか。






籤は筆跡から祥瓊が書いたものだと気付いただろうが、景麒はあれを陽子が作ったものだと思っている。
だから当然、自分の口にした言葉が、どう受け取られるのか最初からわかっていたはずだ。
そう思うとどきりとした。同時に、知らなくてよかったと思う。
もし知っていたら、狼狽しないでいられたはずがない。
旅行の籤を引き当てたのは、本当にただの偶然だったのだから。
最後に振り返った時、一瞬だけ結ばれた視線が何だったのか陽子には説明ができない。
なぜ自分が振り返ったのかさえ、わからなかった。
堂扉が二人を分かつ一瞬、景麒が何を言おうとしていたのか今となっては知る術がない。
もし真実待ち人でありえたなら、きっと引き止める言葉であったに違いないけれど。




陽子は立ち上がり、衣についた埃を払う。
胸元には、運を試した籤がある。
窓辺に立ち、仁重殿のある方角に遠く目をこらした。






怒られたのなら、行ってしまえたのに。






長い繰言から逃げるように、きっと何も考えずに行ってしまえた筈だった。
けれど景麒は何も言わなかった。
だから、行けない。
言葉にされなかったものに、気持ちが引き寄せられているから。




自分をあの時振り向かせたものが、これと同じものであるのだと陽子は気付く。
不安だろうか、それとも疑問だろうか、明確に形にされないものに、捉われてしまうのは。




玻璃の窓に、そっと手を触れる。
涌水のような冷たさに、さらにぎゅっと手を押し付けた。
きしり、と玻璃の悲鳴を聞いて陽子はようやく手を離す。
そっと窓から離れると、静かに堂室を出た。
ひとり庭院へと赴き、辺りに誰もいないのを確認する。
胸元から籤を取り出すと、枝葉を掻き分けてそこへ籤を結びつけた。
顔を上げると踵を返し、陽子は小鳥のようにそこを敏捷く駆け去って行った。










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フォーチュンクッキーの発祥の地は、アメリカのチャイナタウンだそうです。
長いこと籤をどうやって入れているんだろうと思っていたのですが、生地が焼きたての柔かい間に素早く折り込み、冷めるとあの状態になるそうです。
ちょっと考えれば、ああ!ということですね(笑)。
フォーチュンクッキーはお菓子としておいしいかと言われると微妙ですが、旅先などでみかけるとついお土産に買ってしまいます。










2006.02